01.蝮の男

「浅彦。決して悲観するな。自分の力に誇りを持て。お前の力は、この町を、そして皆を守るためにあるんだ――」

 毒蝮浅彦(ドクマムシアサヒコ)は、その言葉を耳に焼きつくほど父・正造から聞かされてきた。
 
 極道・毒蝮一家総長の長男として生を受けた因果なのか。彼の背には生まれたときから、背中に和彫のような茶色い蝮の紋様が刻まれていた。
 それは“呪墨”(ジュボク)と呼ばれ、それと同じ姿をした一匹の蝮は実体化し、常に彼の傍らに寄り添い、時に牙を剥いて浅彦を守った。

 周りとは違う、普通ではない力。幼心にも、浅彦はそれをはっきりと理解していた。

 東京・殿六町天下通り。その一角にある小さなカフェ“すずらん”の店内に流れる耳障りのいいピアノの旋律。焙煎した豆の香ばしい匂いが気持ちを穏やかにしてくれる。
 いつもならゆったりと流れる時間を楽しめる空間なのだが、今はそれを妨害するような下品な笑い声が店内に響いていた。

「なあなあ、バイトなんてほっといてさ、俺らと遊ぼうよ」
「無理なものは無理です!あまりしつこいと警察を呼びますよ!」

 店員の学生アルバイト――真白(マシロ)つばめは、三人組の男に絡まれていた。
 彼らは緑色の詰襟学生服を着ており、それは“不良高”として名高い羅生(ラショウ)工業高校のものだった。
 煙草を口先に咥え、いかにも素行の悪そうな彼らはつばめの警告に怖気付く様子もなく、軽薄に鼻で笑い飛ばす。

「ケーサツかぁ。怖ぇなぁ」
「じゃあ、お巡りさんが来る前に君のこと捕まえちゃおうかなぁ?」

 躊躇いもせず吸い殻を床に捨てて、踏みつけた男は立ち上がり、つばめを取り囲む。三人に取り囲まれ身動きが取れない。じろじろと顔から太腿までを舐め回すような視線に、嫌悪感が募る。
 腕を掴まれ引き寄せられるが、振り払おうとした瞬間、背後の男が肩を押さえつけ、逃げ道を塞いだ。

「おっと、逃げんなよ。痛い目に遭いたくなけりゃ、な」
「!」
「この町にいるなら聞いたことあるだろ?俺らは――紅牙隊だ」

 紅牙隊(コウガタイ)。近ごろ殿六町周辺で騒ぎを起こしている不良グループの名だ。傷害や窃盗で多数の青少年が検挙されているらしく、つばめの通う星涼(ホシスズミ)高校でも、同級生がカツアゲや暴行の被害に遭ったと担任から注意を受けていたばかりだった。
 つばめの声に周囲の客が振り向く。だが、誰もが面倒事に巻き込まれまいと視線を落とす。
 頼りになるオーナーも買い出しに行っていて不在だった。

「か、彼女から離れてください!」
「……あァ?」

 つばめと同じシフトに入っていた大学生の先輩、日下暁(クサカアキラ)が意を決して止めに入る。声も震えて、顔色も悪い。気が小さい彼には不良を前にして、声を絞り出すのがやっとだった。
 だが所詮なけなしの勇気、その弱々しい空気感が不良達にとっては、自分達より下であるという意識を強くさせた。
 左頬を容赦なく殴られ、日下はバランスを崩し床に倒れる。

「う……うっ……」
「日下さんっ!」
「あーあ、可哀想になァ?我儘な女の子のせいで痛い目にあっちまってよー」
「弱いくせにしゃしゃり出るからこうなるんだっての」

 床に倒れた日下の体をまるでサッカーボールのように蹴り、呻く彼を見て楽しむ男達。腹や頭を蹴られて、暴行される様をつばめは黙って見ていることができなかった。
 咄嗟に、日下を殴った男の右頬に平手打ちをする。乾いた音が響き、叩かれた男は目を見開く。

「何すんだっ!このクソ女!」
「きゃっ……!」

 壁に体を打ち付けられ、バンッと大きな音がする。つばめは背中に走る痛みにぐっと目を瞑った。

「俺に逆らうとどうなるか、その体にたっぷり教えてやるよ!」

 鼻息荒く、興奮した様子の男がつばめのブラウスのボタンに手をかける。胸に視線を向けた男の素振りから、つばめは嫌な予感を覚えて手を払い除けようとするが、力の差があり、抵抗できない。
 堪えきれず、叫び声をあげようとしたときだった――。

 カラン、と店のドアが開く、鈴の音がした。

 同時に、つばめの視界から男の姿が消える。
 恐る恐る視線を落とすと、つばめに詰め寄っていた男が床の上で失神していた。

 代わりに、つばめの目の前にいたのは白い顔をした大柄な男。七三を少し崩した黒い髪はスマートで落ち着いた印象を与える。耳のシルバーのピアスが二つ、きらりと反射した。
 紫の詰襟――六乃宮(ロクノミヤ)高校の制服に身を包み、その男は、蛇のような鋭い目で不良たちを睨み据えた。

「て、てめぇ……!俺たちが紅牙隊だってわかってんのか!?そんな真似して、どうなるか――」

 言葉の続きを待つことなく、もう一人が蹴り飛ばされた。椅子に直撃して、椅子と共に崩れ落ちるように床に倒れる。呻き声を上げて、蹲っている。

「ここは毒蝮一家のシマだ。半端な不良風情が足を踏み入れていい場所じゃねぇ……さっさと消えろ」
「な、舐めんじゃねぇぞゴラァ!」

 仲間が立て続けに二人倒され、追い詰められた男は、ポケットから折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出す。
 持つ手がわなわなと震えている。

「獲物を捨てろ。お前じゃ俺に傷一つつけられねぇよ」
「うるせぇえええ!」
「危ないっ!」

 恐れを噛み殺し、ナイフを持ったまま男は突進する。
 相手を目で捉えながらも、微動だにしない彼につばめは違和感を抱く。避けなければ、刺されてしまうのは目に見えているのに!
 ――だが、彼の黒い瞳に恐怖の色はなく、慌てふためく様子もない。自分より弱い小動物を見るような、憐れみにも似た眼差しを向けていた。

 腹のあたりにナイフが突き刺さる。汗をだくだくに垂らしながら、刺した男は薄く笑う。
 俺の勝ちだ、と思ったのも束の間。違和感に気づく。

「な、なんだ……刃が通らねぇ……?」

 確かに腹に突き刺したはずなのに、何か固いものに遮られて、ナイフの先端が皮膚を貫通しない。

(あれは……)

 破れた服の隙間から、蛇の鱗のような茶色い菱形の塊が見えて、彼の皮膚を刃から守るようにして円状に広がっていた。
 しかし男は刺さらない皮膚に何度も突き刺そうとする。まるで、それが見えていないかのように。
 鱗のような皮膚から何かが飛び出す。それは刃先を伝い、ナイフを持っている男の腕に、目にも止まらぬ速さで巻きついた。

「な、なんだ……ッ!?腕が動かねぇ……!」

 困惑する男とは対照的に、つばめの目はその姿をはっきりと捉えていた。
 彼の腕には蝮(マムシ)が、巻き付いていたのだ。
 あの白い顔の男の中から、突然現れた異質な毒蛇につばめは驚きを隠せない。
 白い顔の男が拳を握ると、それに呼応するように腕の蝮は締め付ける力を強めた。ぎしぎしと骨が軋む音がする。腕を雑巾のように絞られ、激痛に男は悲鳴をあげながら、ナイフを床に落とした。

「関節を外した。このまま砕いてやってもいいんだぜ。それともてめぇのナイフで喉を抉られる方がいいか?」

 白い顔の男が低く告げ、床に落ちた刃物を拾い上げた。
 冷たく光る刃先を喉元に突きつけられ、男は目に涙を溜めながら、静かに首を横に振るしかない。

「もう一度言う。出て行け、この町から今すぐに」
「ひ……ッ!」

 その場にいるだけで押し潰されそうな圧倒的な覇気に男は戦慄した。化け物から逃げるようにして店を飛び出す男。蹲っていた男も失神していた男を担ぎ、後に続く。勢いをつけた開閉の反動でドアが大きな音を立てた。

(今のは……?)

 先ほどまで男の腕に絡みついていた蝮は、次の瞬間には白い顔の男の掌に戻り、一度つばめを見つめると霞のように掻き消えた。

「おい、お前」
「は、はいっ!」

 鋭い声につばめは背筋を伸ばす。

「早く、そこのやつを手当てをしてやれ」

 視線は床に蹲っていた日下に向けられていた。
 我に返ったつばめは急いでキッチンから保冷剤、事務室から救急箱を持ち出す。
 頬を腫らし、唇を切った日下に応急処置を施しながら、不安げに声をかけた。

「日下さん、大丈夫ですか……?」
「い、痛てて……うん、なんとか……」

 騒動はひとまず収まり、日下は念のため病院へ行くこととなり、早退していった。

 散らかった店内を片付け終えた後、つばめは彼をカウンター席に案内し、湯気の立つコーヒーを差し出した。
 ほろ苦いブラックコーヒーの薫気が辺りに広がり、静かな余韻を取り戻す。

「私、真白つばめと言います。あの、もし宜しければお名前を……教えて頂けませんか?」
「名乗るほどの者じゃない」
「でも、知りたいんです」

 コーヒーを一口含んで、小さく息を吐き出す。少し躊躇するように視線を外して。

「毒蝮……浅彦だ。」

(どこかで聞いたような……)

 毒蝮浅彦。つばめには、ぼんやりと聞き覚えのある苗字だった。SNSかドラマのような架空の話で見聞きしたのだろうか。しかし思い出せず、それ以上深掘りすることは避けた。

「浅彦くん。ありがとうございました。助けていただいて」
「別にお前の為じゃない。たまたま通りかかっただけだ」
「それでも、浅彦くんがいなかったら、日下さんだけじゃなくて、お客さんにも被害が出ていたかもしれないから……。本当に、ありがとうございました」
「……」
「浅彦くんのお陰です」

 つばめは深くお辞儀をして、微笑んだ。浅彦は不可解な顔をして、なんとも居心地悪そうにそっぽを向いた。……照れ隠し、なのだろうか。
 つばめはくすっと笑って、浅彦は不服そうに睨んでいた。
 和やかな雰囲気になったところで、つばめは気になっていたことを尋ねる。

「あの蛇さんは……何だったんですか?」

 そう問いかけた時、変化の乏しい浅彦の顔が、一瞬、強張ったように感じた。

「お前……見えるのか」
「え?はい。あの不良さんの腕に巻きついていたのは、蝮さん……でしたよね」
「……」
「もしかして、浅彦くんのペット、ですか?」
「違う。あれは――“呪墨”だ」
「ジュボク?」

 話の要領を得られず、きょとんと目を丸くさせるつばめを見て、「本当に何も知らないのか」と浅彦は疑るような眼差しを向ける。顎に手を当てて、暫く考えた後、徐に口を開く。

「その肌に呪墨を刻まれているものは、人智を超えた特殊な能力を使うことができる。さっき俺が刃を防いだのも、蝮を現出させて腕の関節を外したのもそうだ」

 浅彦は腕を伸ばして、その腕に沿うように蝮を現出させる。つばめは息を呑み、食い入るようにそれを見つめた。

「いつから、その力を?」
「生まれつきだ。生まれた時から入れ墨のような蝮の形をした痣が背中にあった」
「痣……」

 つばめは視線を落とし、自分の右胸の辺りを押さえた。呪墨という言葉を聞いた瞬間、その辺りがズキズキと疼き始めている。

「能力を持っている“墨使い”にしか、呪墨は見えないはずだ。……だが、お前からは何の力も感じられない」
「初めて聞きました」
「だろうな。もしお前が力を使えれば俺の助けなど必要なかったはずだ」

 浅彦がコーヒーを啜る。皿の上に戻す時に、カチャ、と陶器が擦れる音がした。

「まあ、俄には信じられんだろうが」
「信じます。だってその力があったから私は救われたんですから」
「……お前、騙されやすいと言われたことはないか?」
「あります!」
「……」

 つばめは意気揚々と即答する。突っ込む気力もないのか、浅彦はわざとらしく咳払いをした。

「とにかく。殿六町には今、変化が起きている。呪墨を持つ者が流れ込み、町を牛耳ろうと画策しているんだ。」
「そんな。もしさっきのような不良さんたちみたいな人が、その力を持っていたとしたら……とても危険なんじゃ……」
「ああ。既にいくつか墨使いによる事件と思われるものも町で起きている。……真白、と言ったか」
「はい」
「俺以外の墨使いに出会ったとしても見えないフリをして一目散に逃げろ。絶対に首を突っ込むんじゃあない。……いいな」

 真剣な声色に、つばめは圧倒されて頷く。
 この町に浅彦以外に墨使いがいる――先ほどのように欲望のままに人を傷つけるような人達が持っているとしたら……考えただけで背筋が凍った。

 浅彦が左手に嵌めた時計を見る。時刻は十九時近い。「塾の時間だ」と呟き、席を立った。

「また、お店に遊びに来てくださいね」
「気が向いたらな。……コーヒーの味は悪くなかった」
「ありがとうございます」

 つばめは彼を店の外まで見送って、もう一度深くお辞儀をする。
 浅彦の後ろ姿が雑踏の中に消えていくまで、つばめは大きく手を振り続けた。